海兵71期 児玉光雄大尉
☆海軍兵学校☆こんばんは(*'▽')
国分での慰霊祭に携わっていく予定ということで、「あなたも来なさいよ!」と熱烈に誘っていただき恐縮したものです。
児玉光雄大尉は、隼人町というところで生まれました。
桜島と錦江湾を正面に国分平野を見下ろすことができるのだそうです。
幼いころは、四つ上のお兄様の秀雄さん(海兵68期)と釣りや鳥の罠かけ、木登りなど、遊びやいたずらをして育ちました。
最後の地となった国分基地は、家から直線距離で三キロほどであり、出撃の日は上空から両親に別れを伝えられたのではということです。
出撃の前、一度だけご実家に帰省されました。
それまでは台南空にいたようなのですが、いつ頃戻られたのかまでは定かではありません。
出撃が決まり、内地へ戻る中で時間を見つけて帰られたのかもしれませんね。
遺書
最後の手紙
轟沈せん敵空母
征くぞ必中体当たり
これぞ大和の山桜
征きて不滅の金字塔
光輝三千年皇國の聖土将に醜敵米に汚されんとするの秋
小生漸く今回の大快挙に選抜せられ武士の面目之に過ぎず愉快千萬に御座候
只今より笑を含みて従容死地に乗入申候
生死成敗等は論ずるに足らず
今は何一つ思ひ遺すこともなく意氣揚々我任務に直進君恩の萬分の一にも報じ奉らんと浴するのみに候
頭書の歌らしきものは酔余の一曲に御座候
謹みて書を御両親様に呈し 二十二年余御愛育被下候
御洪恩を奉謝候 敬具
昭和二十年三月二十八日 光雄拝
ご両親様
児玉大尉は写真によりお顔の写りが違う方なのですが、今回描いた元の写真は、とても優しく微笑んでいて、希望に満ち溢れているように見えます。
まだ飛行学生の頃のお姿です。
いつもは唇をきゅっと真一文字に結んだ表情が多いのですが、この写真からは優しさを感じ取れたのでこちらを描かせて頂きました。
いつかは国分の慰霊祭へも、児玉大尉の育った地へも行ってみたいです。
児玉大尉。どうか心安らかに。
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